ガビーン!!
2006年1月24日ホリエモン、逮捕ですか!!
やっぱり逮捕されちゃいましたか。
特別好きなわけでも応援していたわけでもなかったのだが
どういう方向に進んでいくものかと見守っている矢先の逮捕。
なんて言ったらいいのかわかんないけど
ガビビビーン!
ショックを受けています。
どうでもいい人なんだけど、
思いもしないことが起きると
人ってパニック起こすでしょ?
だからガビビーンなのです。
まったくもって
想定外!?
でもね、大丈夫さ
本当に知的でクールなホリエモンなんだったら
こんなことで株と一緒に下落しないで
拘留所でも藁でも掴んで戻ってくることでしょ。
でもよかったと思うよ。
ルール無視してせこせこやっても
なかなか通用しないのねってことがわかったんだから。
まだ若いんだし、そこまでやったら
スカッと気分いいよ。
顔洗って、また出直してくればいいよ!
やっぱり逮捕されちゃいましたか。
特別好きなわけでも応援していたわけでもなかったのだが
どういう方向に進んでいくものかと見守っている矢先の逮捕。
なんて言ったらいいのかわかんないけど
ガビビビーン!
ショックを受けています。
どうでもいい人なんだけど、
思いもしないことが起きると
人ってパニック起こすでしょ?
だからガビビーンなのです。
まったくもって
想定外!?
でもね、大丈夫さ
本当に知的でクールなホリエモンなんだったら
こんなことで株と一緒に下落しないで
拘留所でも藁でも掴んで戻ってくることでしょ。
でもよかったと思うよ。
ルール無視してせこせこやっても
なかなか通用しないのねってことがわかったんだから。
まだ若いんだし、そこまでやったら
スカッと気分いいよ。
顔洗って、また出直してくればいいよ!
なんともう9月なのですね。
とっっても暑い夏も、通り過ぎかけています。
そして相変わらず、いっぱいいっぱいの私22歳10ヶ月
小生意気にも力の限りにとんがっております。
余裕なフリをするなんていう小芝居にも最近目覚めつつ、
非人道主義を目標に。
それにしたってこの世の中、なんとなく何もしなくても生きていけるからコワいものです。
ようするに、バレなきゃいいのよ、何事も。
そういう世界であります。
常に対立する反発心と感謝、
これ、捨てなきゃ脱皮できませんよ。
知ってるんですが、なかなかねぇ。
育ちがいいもんで。照
人間味にあふれた非人道主義志望ですが何か?
とっっても暑い夏も、通り過ぎかけています。
そして相変わらず、いっぱいいっぱいの私22歳10ヶ月
小生意気にも力の限りにとんがっております。
余裕なフリをするなんていう小芝居にも最近目覚めつつ、
非人道主義を目標に。
それにしたってこの世の中、なんとなく何もしなくても生きていけるからコワいものです。
ようするに、バレなきゃいいのよ、何事も。
そういう世界であります。
常に対立する反発心と感謝、
これ、捨てなきゃ脱皮できませんよ。
知ってるんですが、なかなかねぇ。
育ちがいいもんで。照
人間味にあふれた非人道主義志望ですが何か?
漢字で書くと「小田切譲」
コレが本名みたいです。
ある日突然、夢に出てきました。
佐藤浩市目当てで見ている
NHK大河「新撰組」に斉藤一役で出ているからだと思うのですが、
夢に出てくると、なぜか気になってしまうもので、
さっそくビデオを借りあさって見てみると、
この人、すごくかっこいいです。
国立高知大の理工学部に現役合格しているとか。(合格するも、入学せず、アメリカのカリフォルニア州立大学へ留学)
頭がいいのね、というわけで
好感度がアップしました。
頭のいい人が好き、という
妙にセコい性格を捨てきれない私・・・。
なんとも面白いのは、このオダギリジョーが尊敬する俳優が佐藤浩市だそうで、これには驚き、「88へぇ〜」くらいでしょうか。
佐藤浩市ファンの私が、好きになったオダギリジョーが
これまた佐藤浩市ファンだった、
これってやっぱり何か類友的な物なのでしょうか。
ルックス的には共通点がないんだけど、二人とも
影も日向も演じられる、というところは共通してるかも。
私の好きな俳優についての語りはこの辺で、
一応レビューなので、本題は映画「アカルイミライ」について。
最近の日本映画の典型のような、モノトーンでダークメルヘンな雰囲気が漂ってます。
クラゲがキーポイントになっているあたりなんて最高にダークでメルヘンチック。
筋道やストーリー性なんて置いといて、
「作り手が自分なりの解釈で作る、だから視聴者もとりあえず好きなように解釈してね」みたいな、「お互い自己満足主義」的な映画って、今の日本のヒューマンドラマジャンルの大堂なのかな。
この雰囲気って、日本映画の特色で、
他の国の映画にはない世界なんです。
タイトルが「アカルイミライ」のわりに
明るさはカケラもありません。
あえてカタカナでタイトルにしているあたりが
更に暗い。
それにしても、このナイスガイが「あずみ」の美女丸かと思うと、
オダギリジョーのモチベーションの広さにびっくり。
コレが本名みたいです。
ある日突然、夢に出てきました。
佐藤浩市目当てで見ている
NHK大河「新撰組」に斉藤一役で出ているからだと思うのですが、
夢に出てくると、なぜか気になってしまうもので、
さっそくビデオを借りあさって見てみると、
この人、すごくかっこいいです。
国立高知大の理工学部に現役合格しているとか。(合格するも、入学せず、アメリカのカリフォルニア州立大学へ留学)
頭がいいのね、というわけで
好感度がアップしました。
頭のいい人が好き、という
妙にセコい性格を捨てきれない私・・・。
なんとも面白いのは、このオダギリジョーが尊敬する俳優が佐藤浩市だそうで、これには驚き、「88へぇ〜」くらいでしょうか。
佐藤浩市ファンの私が、好きになったオダギリジョーが
これまた佐藤浩市ファンだった、
これってやっぱり何か類友的な物なのでしょうか。
ルックス的には共通点がないんだけど、二人とも
影も日向も演じられる、というところは共通してるかも。
私の好きな俳優についての語りはこの辺で、
一応レビューなので、本題は映画「アカルイミライ」について。
最近の日本映画の典型のような、モノトーンでダークメルヘンな雰囲気が漂ってます。
クラゲがキーポイントになっているあたりなんて最高にダークでメルヘンチック。
筋道やストーリー性なんて置いといて、
「作り手が自分なりの解釈で作る、だから視聴者もとりあえず好きなように解釈してね」みたいな、「お互い自己満足主義」的な映画って、今の日本のヒューマンドラマジャンルの大堂なのかな。
この雰囲気って、日本映画の特色で、
他の国の映画にはない世界なんです。
タイトルが「アカルイミライ」のわりに
明るさはカケラもありません。
あえてカタカナでタイトルにしているあたりが
更に暗い。
それにしても、このナイスガイが「あずみ」の美女丸かと思うと、
オダギリジョーのモチベーションの広さにびっくり。
生まれたときからずっとお世話になってきた人が、昨日亡くなった。
母の中学校時代からの大親友で、私にとっては生まれたときから家族のようにかわいがってもらい、親戚のおばさんみたいな存在だった。
あまりに突然の死の知らせ。
おばさんは20代半ばで再生不良性貧血という特定疾患の重病にかかった。彼女と同じ頃、同じ病気になった人は、10年以上も前にみな死んだ。
発病から20年。長生きしたと言っていいだろう。
それでもまだ44歳。
おばさんは元気だった。
顔には薬の副作用でヒゲが生え、血のかたまりで顔中がブツブツしていて、入退院も日常茶飯事、輸血も注射も毎日の日課だったけれど、それでもおばさんは元気だった。
2週間ほど前に風邪をひいて、入院していたが今週の月曜日に無理矢理退院してきたという。いつもの事だった。
「そんな無茶を繰り返すと、いつか死ぬぞ」と周りに言われながらも、死なないのがおばさんの自慢だった。
かろうじてつながっているような命の綱渡りで、おばさんは驚異的な生命力を周りの人に見せつけていた。
昨日の未明、容態が急変して救急車で運ばれた。
赤血球の数値が30を切っていたという。(通常は380以上)
風邪の菌が体中に回っていた。
何度も嘔吐を繰り返し、そのうち眠るように死んでいったという。
いつ死んでもおかしくない人だった。
そういう病気だった。
でも、あまりに長く生きすぎて、周りの人はそのことを忘れていたかも知れなかった。
だから、誰もが予想してなかった突然の死に、困惑した。
うちの母などは、知らせの電話が来てもしばらくは平然としていた。ただぼーっとして、何がなんだかわからないと言った様子だった。
私はすぐにおばさんの家に駆けつけた。母は行かなかった。
向かう途中、車の中で頭の中を整理しようとしたが、混乱して出来なかった。
家に着くと、お線香の臭いとおばさんの遺体が私に現実を教えた。
帰ってくると、母が
「どうだった?」と言った。
「何が?」と聞くと、
「おばさん」という。
この「どうだった?」の言葉の意味が私にはわからなかった。
「どうだったって・・・。死んでたよ・・・。」
それ以外に、なんと答えるべきだったのだろう。
母は一瞬、とても悲しい顔をした。
母が言った「どうだった?」の意味は、
「本当に死んだの?」
そういう意味だったかもしれない。
おばさんと最後に会ったのは3ヶ月くらい前だった。
酔っ払ってうちに突然来て、母と3人で焼き鳥屋で飲んだ。
酔っ払いながら「あんたたちのことをいつも思っているんだ」と言っていた。
あれが最後だったなんて、私はまだ信じられない。
母は明日、おばさんに会いに行くそうだ。
母の中学校時代からの大親友で、私にとっては生まれたときから家族のようにかわいがってもらい、親戚のおばさんみたいな存在だった。
あまりに突然の死の知らせ。
おばさんは20代半ばで再生不良性貧血という特定疾患の重病にかかった。彼女と同じ頃、同じ病気になった人は、10年以上も前にみな死んだ。
発病から20年。長生きしたと言っていいだろう。
それでもまだ44歳。
おばさんは元気だった。
顔には薬の副作用でヒゲが生え、血のかたまりで顔中がブツブツしていて、入退院も日常茶飯事、輸血も注射も毎日の日課だったけれど、それでもおばさんは元気だった。
2週間ほど前に風邪をひいて、入院していたが今週の月曜日に無理矢理退院してきたという。いつもの事だった。
「そんな無茶を繰り返すと、いつか死ぬぞ」と周りに言われながらも、死なないのがおばさんの自慢だった。
かろうじてつながっているような命の綱渡りで、おばさんは驚異的な生命力を周りの人に見せつけていた。
昨日の未明、容態が急変して救急車で運ばれた。
赤血球の数値が30を切っていたという。(通常は380以上)
風邪の菌が体中に回っていた。
何度も嘔吐を繰り返し、そのうち眠るように死んでいったという。
いつ死んでもおかしくない人だった。
そういう病気だった。
でも、あまりに長く生きすぎて、周りの人はそのことを忘れていたかも知れなかった。
だから、誰もが予想してなかった突然の死に、困惑した。
うちの母などは、知らせの電話が来てもしばらくは平然としていた。ただぼーっとして、何がなんだかわからないと言った様子だった。
私はすぐにおばさんの家に駆けつけた。母は行かなかった。
向かう途中、車の中で頭の中を整理しようとしたが、混乱して出来なかった。
家に着くと、お線香の臭いとおばさんの遺体が私に現実を教えた。
帰ってくると、母が
「どうだった?」と言った。
「何が?」と聞くと、
「おばさん」という。
この「どうだった?」の言葉の意味が私にはわからなかった。
「どうだったって・・・。死んでたよ・・・。」
それ以外に、なんと答えるべきだったのだろう。
母は一瞬、とても悲しい顔をした。
母が言った「どうだった?」の意味は、
「本当に死んだの?」
そういう意味だったかもしれない。
おばさんと最後に会ったのは3ヶ月くらい前だった。
酔っ払ってうちに突然来て、母と3人で焼き鳥屋で飲んだ。
酔っ払いながら「あんたたちのことをいつも思っているんだ」と言っていた。
あれが最後だったなんて、私はまだ信じられない。
母は明日、おばさんに会いに行くそうだ。
いつも何かに追いかけられて逃げ回っている感じの人生を送っています。
私は自分の人生を生きているというよりは、人生に追いかけられているという感じがするのです。
そのくせ妙に生き急いでいる、なんとも窮屈でくだらない人生であります。
仕事に給料に休日にさえも追いかけ回され
一体どこまで逃げ回ればいいのでしょうか。
もう逃れられないことも知っていながら、
ジタバタともがいている自分が
少し離れたところから眺めると
とても滑稽に見えたりします。
私は自分の人生を生きているというよりは、人生に追いかけられているという感じがするのです。
そのくせ妙に生き急いでいる、なんとも窮屈でくだらない人生であります。
仕事に給料に休日にさえも追いかけ回され
一体どこまで逃げ回ればいいのでしょうか。
もう逃れられないことも知っていながら、
ジタバタともがいている自分が
少し離れたところから眺めると
とても滑稽に見えたりします。
今日、右上の親知らずを抜いて来ました。
去年の右下に続き、二回目。
翌々週には左上、と続きます。
上の両奥歯が二本とも痛んでひどかったけど、
親知らずだとは知らずに
我慢し続けていましたが、
我慢の限界で歯医者に行くと
親知らずなので抜きましょう、とのこと。
親知らずが生えてたことも知らず、
ダブルでショックでした。
いつも思うことですが、
この現代の医療の発達には目を見張るものがあります。
医療だけではありません。
この世の中、ありとあらゆる分野が発達し、
ハイテクの時代であります。
私のような者にはよくわかりませんが、
電波だレーザーだ、と、目に見えぬもので
色々世の中を動かしたりしている
この超ハイテク社会。
なのに、親知らずを抜くときは、
引っこ抜くんですね・・・。
しかもペンチのようなもので、
グルグルと回しながら、
ネジと同じ法則ですね。
なんて原始的なんだろう、と思うのは
私だけでしょうか。
去年の右下に続き、二回目。
翌々週には左上、と続きます。
上の両奥歯が二本とも痛んでひどかったけど、
親知らずだとは知らずに
我慢し続けていましたが、
我慢の限界で歯医者に行くと
親知らずなので抜きましょう、とのこと。
親知らずが生えてたことも知らず、
ダブルでショックでした。
いつも思うことですが、
この現代の医療の発達には目を見張るものがあります。
医療だけではありません。
この世の中、ありとあらゆる分野が発達し、
ハイテクの時代であります。
私のような者にはよくわかりませんが、
電波だレーザーだ、と、目に見えぬもので
色々世の中を動かしたりしている
この超ハイテク社会。
なのに、親知らずを抜くときは、
引っこ抜くんですね・・・。
しかもペンチのようなもので、
グルグルと回しながら、
ネジと同じ法則ですね。
なんて原始的なんだろう、と思うのは
私だけでしょうか。
「 世界の中心で、愛をさけぶ 」 朔太郎とアキの記憶の扉
2004年5月12日 映画
観てきました。
毎度の事ながら恋愛ドラマはやっぱり姓に合わないと観た後に実感します。
雰囲気で泣ける部分は当然あるんだけど、どうも嘘臭いというか、「所詮ドラマドラマ・・・」っていう冷めた感覚がまとわりついて、感情移入出来ないんです。
柴咲コウ目当てだったけど、あんまり出てなかったような気もして。自分が15歳くらいだったら、もっと感動したのかもしれないけど・・・大人向けの内容ではないかなと思いました。
なんか一番微妙なのは、律子という恋人を捜しに四国に行くところからストーリーが始まっているのに、そこから先は亜紀との思い出のなかに迷い込むという、なんて優柔不断、というか、サクと亜紀の愛の大きさを描きたかったなら、律子の存在はあまり出さないほうが良いような気が致しました。
「世界の中心で愛を叫ぶ」なんて、タイトルはかなりグッドなんですけどね、タイトル負け???
でもでも世界の中心って考えれば考えるほど、
どういう意味だかわかんないんですね。
毎度の事ながら恋愛ドラマはやっぱり姓に合わないと観た後に実感します。
雰囲気で泣ける部分は当然あるんだけど、どうも嘘臭いというか、「所詮ドラマドラマ・・・」っていう冷めた感覚がまとわりついて、感情移入出来ないんです。
柴咲コウ目当てだったけど、あんまり出てなかったような気もして。自分が15歳くらいだったら、もっと感動したのかもしれないけど・・・大人向けの内容ではないかなと思いました。
なんか一番微妙なのは、律子という恋人を捜しに四国に行くところからストーリーが始まっているのに、そこから先は亜紀との思い出のなかに迷い込むという、なんて優柔不断、というか、サクと亜紀の愛の大きさを描きたかったなら、律子の存在はあまり出さないほうが良いような気が致しました。
「世界の中心で愛を叫ぶ」なんて、タイトルはかなりグッドなんですけどね、タイトル負け???
でもでも世界の中心って考えれば考えるほど、
どういう意味だかわかんないんですね。
人質、帰郷する。
2004年4月20日批判的だった私だけど、私にも情というものがある。
精神的に追いつめられて、ボロボロになってる彼らがなんだかかわいそうなのだ。
責任は責任、義務は義務、彼らには責任があるし、
公の場で話さなければならない、批判も受け止めなければならない義務がある。
しかし、それとは別に、無事帰ってこられたことを暖かく歓迎し、彼らに時間をあげるのも必要なこと。
半月前までは無名の一般人だった彼等が、イラクへ行き、
帰国したら沢山の報道陣に囲まれフラッシュを浴び、
日本中の注目の的になっている。
精神的に追いつめられるのも無理はないのだ。
この問題は、批判するでも同情するでもなく
国民がみんな考えなければいけないことなのだ。
戦争が悪いだの、
自衛隊反対だの、
言論は自由だけども、人ごとで言っているのでは
意味がない。
「こういう世界を作っているのは
政府だ」「アメリカだ」
違う。そんな風に分けて考えることではない。
もし戦争がいけないことならば、
その責任はこの世界にある。
私たちも負っているのではないか。
自分は関係ない、という姿勢で批判ばかりしていては
発言に意味を持たない。
うまく言えないのだけど・・・
精神的に追いつめられて、ボロボロになってる彼らがなんだかかわいそうなのだ。
責任は責任、義務は義務、彼らには責任があるし、
公の場で話さなければならない、批判も受け止めなければならない義務がある。
しかし、それとは別に、無事帰ってこられたことを暖かく歓迎し、彼らに時間をあげるのも必要なこと。
半月前までは無名の一般人だった彼等が、イラクへ行き、
帰国したら沢山の報道陣に囲まれフラッシュを浴び、
日本中の注目の的になっている。
精神的に追いつめられるのも無理はないのだ。
この問題は、批判するでも同情するでもなく
国民がみんな考えなければいけないことなのだ。
戦争が悪いだの、
自衛隊反対だの、
言論は自由だけども、人ごとで言っているのでは
意味がない。
「こういう世界を作っているのは
政府だ」「アメリカだ」
違う。そんな風に分けて考えることではない。
もし戦争がいけないことならば、
その責任はこの世界にある。
私たちも負っているのではないか。
自分は関係ない、という姿勢で批判ばかりしていては
発言に意味を持たない。
うまく言えないのだけど・・・
ベルギーワッフルと鳩と大通り公園と私
2004年4月14日水曜日はお店が定休日ということで、デパート分だけの製造のため、仕事が早く終わったので、催事中の某デパートへ足を運んで
自分の作ったパンが大手デパートでどれほどみじめに売られているかを見に行ってきた。
デパートの派手さ装飾のおかげで想像よりははるかに立派に見えてひと安心。
今更ながら、タイヤ交換もやっとしました。
ふた安心。
デパ地下でベルギーワッフルを二個も売りつけられたので、
仕方なく大通り公園の噴水の輪に座って、鳩と一緒に食べる。
お昼の12時、サラリーマンのお昼時と重なった。
ベルギーの本物のワッフルだとか言って売りつけられたのに、
ただのホットケーキの味でがっかり、胸焼けしたので半分は鳩にあげた。
私は普通の人間だ。
特別なものは持っていないし、
たいした特技も才能もない。
何も出来ないと言うほど
落ちぶれてもいない。
本当に普通。
ごく普通。
これが意外と大事なことなんだろうと気づく今日この頃。
人混みの中にいても目立つことなく
透明でもない、
妙なバランスで生きている
めざすところ人畜無害。
自分の作ったパンが大手デパートでどれほどみじめに売られているかを見に行ってきた。
デパートの派手さ装飾のおかげで想像よりははるかに立派に見えてひと安心。
今更ながら、タイヤ交換もやっとしました。
ふた安心。
デパ地下でベルギーワッフルを二個も売りつけられたので、
仕方なく大通り公園の噴水の輪に座って、鳩と一緒に食べる。
お昼の12時、サラリーマンのお昼時と重なった。
ベルギーの本物のワッフルだとか言って売りつけられたのに、
ただのホットケーキの味でがっかり、胸焼けしたので半分は鳩にあげた。
私は普通の人間だ。
特別なものは持っていないし、
たいした特技も才能もない。
何も出来ないと言うほど
落ちぶれてもいない。
本当に普通。
ごく普通。
これが意外と大事なことなんだろうと気づく今日この頃。
人混みの中にいても目立つことなく
透明でもない、
妙なバランスで生きている
めざすところ人畜無害。
うわべだけのきれい事を並べ立てて正統化し、事の本質を見ようとしない人たち・・・。
世論とは、様々な意見が交錯しながら触発しあう中で、社会発達の骨組みを太くして行くものなのであるから、色んな意見があることは日本国の発達の益になるのだろうけれど、
それにしてもなぜそんな発想になるの?と
頭を抱えたくなるほど、あきれるほど浅はかな日本の国民性・・・。
様々な角度から検討に検討を重ね、最前の方法を考え抜くために努力をし続けている人たちが沈黙を守ると、すぐさま批判の声。
「情報を公開しろ、自衛隊を撤退しろ、人の命が一番重い、
民間の人道支援が無視されるとは何事だ」
もっともな事を言っているように聞こえる。
しかしこれはただのわがまま勝手、非常識極まりない発言としか言いようがない。
人質に取られた人がかわいそう、
そうと思いこんだら、そこしか見えなくなる人たち。
その背景にある自己責任、自衛隊を撤退した際の
日本の世界に置ける信用問題、
貿易に及ぶ影響力、
もし彼らの望む自衛隊撤退が実現したとき、いずれ困るのは自分たちだというのに・・・。
そうなったとき、今度は誰を批判するつもりなのだろう。
そこまで考えて言っているのか?
そこまで考えている人たちは、軽々しく発言をしない。
それが政府の現在の対応だ。
それでも出来る限りの犠牲を払って、政府は動いていると思う。
被害者の家族が身に迫って、冷静な判断を出来ない現状なのは
まだ理解できるけれど、一緒になって政府を批判し、デモ行進や
署名運動をしている人たちは・・・。
そんなに日本政府の対応が冷たい、間違っていると思うなら、
北の共産主義国に亡命すればいい。
同じ事が起こっても救出どころか「そんな人は我が国にはいない」とあっさり切り捨てられるだろう。
日本人は親にも国家にも、過保護にされ続けて守られることに
慣れてしまっている。
子供は、万引きをしても親が変わりにお金を払い、
謝罪してくれて解決する。
世界で戦争が起こっている社会の中でも
日本が戦場となることはなく、不景気ながらも
食いっぱくれることはなく平和に生活が出来る。
こんな生活が当たり前。
守られるのは当たり前。
だから、少しでも責任を追求されるだけで
政府は冷たい、と逆切れする。
人命が最優先だと、もっともらしい主張を堂々とする。
人命が大事だと思うならなぜ退避勧告地域に行かせたのか。
本人達は死ぬ覚悟があるのではないか?
それに、政府が情報公開を中止すると、
「小さな情報でも未確認情報でもいいから
何か教えてくれ」と言い出す。
数日前の会見では「情報が錯綜していて何を信じたらいいか
わからなくて疲れる」みたいなことを
言っていたのに。
挙げ句の果てに、イラクで起きてる全ての戦闘を即刻中止しろと
言い出す。
あきれて物も言えない。
そんなことが出来るなら最初からこんな戦争は起こっていない。
遊びでやってる訳じゃないのだ。
オリンピックでもなければ世界選手権でもない。
わかっていない。
ただ一つ、千歳に残っている被害者の両親の対応に関しては
立派だと思う。
東京にいる息子と娘に対する批判がピークに達している中、
母親はひたすらその責任を負い、テレビカメラの前で謝罪する。
自分も息子娘と同じ心情を持ちながらも
自分だけでもしっかりした発言をしなければ・・・と
いう姿勢が伝わってくる。
親とは、大人とはこうあるべきだ。
感情を抑え、身を引き裂かれる思いの中で
実直な姿勢を見せれば、
人の同情は、知らずに集まるだろう。
世論とは、様々な意見が交錯しながら触発しあう中で、社会発達の骨組みを太くして行くものなのであるから、色んな意見があることは日本国の発達の益になるのだろうけれど、
それにしてもなぜそんな発想になるの?と
頭を抱えたくなるほど、あきれるほど浅はかな日本の国民性・・・。
様々な角度から検討に検討を重ね、最前の方法を考え抜くために努力をし続けている人たちが沈黙を守ると、すぐさま批判の声。
「情報を公開しろ、自衛隊を撤退しろ、人の命が一番重い、
民間の人道支援が無視されるとは何事だ」
もっともな事を言っているように聞こえる。
しかしこれはただのわがまま勝手、非常識極まりない発言としか言いようがない。
人質に取られた人がかわいそう、
そうと思いこんだら、そこしか見えなくなる人たち。
その背景にある自己責任、自衛隊を撤退した際の
日本の世界に置ける信用問題、
貿易に及ぶ影響力、
もし彼らの望む自衛隊撤退が実現したとき、いずれ困るのは自分たちだというのに・・・。
そうなったとき、今度は誰を批判するつもりなのだろう。
そこまで考えて言っているのか?
そこまで考えている人たちは、軽々しく発言をしない。
それが政府の現在の対応だ。
それでも出来る限りの犠牲を払って、政府は動いていると思う。
被害者の家族が身に迫って、冷静な判断を出来ない現状なのは
まだ理解できるけれど、一緒になって政府を批判し、デモ行進や
署名運動をしている人たちは・・・。
そんなに日本政府の対応が冷たい、間違っていると思うなら、
北の共産主義国に亡命すればいい。
同じ事が起こっても救出どころか「そんな人は我が国にはいない」とあっさり切り捨てられるだろう。
日本人は親にも国家にも、過保護にされ続けて守られることに
慣れてしまっている。
子供は、万引きをしても親が変わりにお金を払い、
謝罪してくれて解決する。
世界で戦争が起こっている社会の中でも
日本が戦場となることはなく、不景気ながらも
食いっぱくれることはなく平和に生活が出来る。
こんな生活が当たり前。
守られるのは当たり前。
だから、少しでも責任を追求されるだけで
政府は冷たい、と逆切れする。
人命が最優先だと、もっともらしい主張を堂々とする。
人命が大事だと思うならなぜ退避勧告地域に行かせたのか。
本人達は死ぬ覚悟があるのではないか?
それに、政府が情報公開を中止すると、
「小さな情報でも未確認情報でもいいから
何か教えてくれ」と言い出す。
数日前の会見では「情報が錯綜していて何を信じたらいいか
わからなくて疲れる」みたいなことを
言っていたのに。
挙げ句の果てに、イラクで起きてる全ての戦闘を即刻中止しろと
言い出す。
あきれて物も言えない。
そんなことが出来るなら最初からこんな戦争は起こっていない。
遊びでやってる訳じゃないのだ。
オリンピックでもなければ世界選手権でもない。
わかっていない。
ただ一つ、千歳に残っている被害者の両親の対応に関しては
立派だと思う。
東京にいる息子と娘に対する批判がピークに達している中、
母親はひたすらその責任を負い、テレビカメラの前で謝罪する。
自分も息子娘と同じ心情を持ちながらも
自分だけでもしっかりした発言をしなければ・・・と
いう姿勢が伝わってくる。
親とは、大人とはこうあるべきだ。
感情を抑え、身を引き裂かれる思いの中で
実直な姿勢を見せれば、
人の同情は、知らずに集まるだろう。
イラクに行くのは自由、帰れなくなったら人のせい
2004年4月11日イラクで3人の日本人がテロリストに拉致された。
3人のうちの2人が北海道人であったことが
なぜか事件に対する私の意識を人ごとではないものと
させた。
なんとなく事件が気になって心配で毎日過ごした。
人間の心理とは全く不思議なものだと思う。
会ったこともない他人なのに、自分と同じ土地で生きてる人だという事実だけが、「二人が殺されたらどうしよう」と私の心を不安にさせる。
解放されるということなので、心からホッとした。
18歳の男性はフリーライターと言うことなので、
帰国したら今回の事を題材に本を出版するだろう
と言うのが私の予想である。
それでこの人が作家として道が開かれたなら
この体験も無駄ではなかった、ということになるし、
人生とはどこでどんな風に事が運ぶかわからないものである。
今回の事件は本当に心配だったし、人質が解放されるのは嬉しいことだけど、私は「自衛隊撤退論」の指示者ではない。
だから今回のことで小泉さんが共産党や社民党に
ここぞとばかりに叩かれるのを見て
なんとも不憫でたまらなく、人質の身と同時に
小泉さんの身も案じずにはいられない。
被害者の家族の一人が「被害者がもし殺されたら小泉さんを許さない」などとテレビで堂々と語った。
なんという筋違いなことを、公の場で堂々と・・・。
せっぱ詰まった状況のなかで冷静に考えられないという
心情はわからなくもないけれど、あれでは浅はかで人情の強い我が日本の国民が見たら「小泉さんは悪党だ、ひどい」ということになってしまう。
そもそも危険地域に自ら進んで入り込んだのは自分の家族であり、その危険を冒したがためのリスクは当人が背負うものであり、政府はそれに対して全力で救済に当たったのだ。
感謝するべきではないだろうか。
政府のお偉いさんを始め、札幌市長、道知事、他の国のお偉いさん達までもが彼らのために貴重な時間を、寝る間も惜しんで救済のために手を尽くしたのだ。自分の家族がイラクに行かなければ
こんなに人に迷惑をかけることも無かったと、
後悔するならいざ知らず、
「自衛隊を撤退してくれないならば何の助けにもならない」などと発言するのは逆恨みもはなはだしい。
危険な所へ行くのも自由なら、そこで死ぬかもしれない事態に
巻き込まれるのも、自由に伴う責任ではないか。
助けを求めるのは自由だが、自分の望む通りの助けがなされないからといって、首相たる人の名誉棄損につながるような軽々しい発言は謹んでもらいたい。
人質本人たちと、その家族が
被害者意識だけでなく、政府を始め、日本国民に大きな迷惑をかけたという意識を持つ日は来るのだろうか・・・。
3人のうちの2人が北海道人であったことが
なぜか事件に対する私の意識を人ごとではないものと
させた。
なんとなく事件が気になって心配で毎日過ごした。
人間の心理とは全く不思議なものだと思う。
会ったこともない他人なのに、自分と同じ土地で生きてる人だという事実だけが、「二人が殺されたらどうしよう」と私の心を不安にさせる。
解放されるということなので、心からホッとした。
18歳の男性はフリーライターと言うことなので、
帰国したら今回の事を題材に本を出版するだろう
と言うのが私の予想である。
それでこの人が作家として道が開かれたなら
この体験も無駄ではなかった、ということになるし、
人生とはどこでどんな風に事が運ぶかわからないものである。
今回の事件は本当に心配だったし、人質が解放されるのは嬉しいことだけど、私は「自衛隊撤退論」の指示者ではない。
だから今回のことで小泉さんが共産党や社民党に
ここぞとばかりに叩かれるのを見て
なんとも不憫でたまらなく、人質の身と同時に
小泉さんの身も案じずにはいられない。
被害者の家族の一人が「被害者がもし殺されたら小泉さんを許さない」などとテレビで堂々と語った。
なんという筋違いなことを、公の場で堂々と・・・。
せっぱ詰まった状況のなかで冷静に考えられないという
心情はわからなくもないけれど、あれでは浅はかで人情の強い我が日本の国民が見たら「小泉さんは悪党だ、ひどい」ということになってしまう。
そもそも危険地域に自ら進んで入り込んだのは自分の家族であり、その危険を冒したがためのリスクは当人が背負うものであり、政府はそれに対して全力で救済に当たったのだ。
感謝するべきではないだろうか。
政府のお偉いさんを始め、札幌市長、道知事、他の国のお偉いさん達までもが彼らのために貴重な時間を、寝る間も惜しんで救済のために手を尽くしたのだ。自分の家族がイラクに行かなければ
こんなに人に迷惑をかけることも無かったと、
後悔するならいざ知らず、
「自衛隊を撤退してくれないならば何の助けにもならない」などと発言するのは逆恨みもはなはだしい。
危険な所へ行くのも自由なら、そこで死ぬかもしれない事態に
巻き込まれるのも、自由に伴う責任ではないか。
助けを求めるのは自由だが、自分の望む通りの助けがなされないからといって、首相たる人の名誉棄損につながるような軽々しい発言は謹んでもらいたい。
人質本人たちと、その家族が
被害者意識だけでなく、政府を始め、日本国民に大きな迷惑をかけたという意識を持つ日は来るのだろうか・・・。
4月7日の日記
2004年4月7日2日から某デパートでの催事が始まり、我が店も出店しているため、18日までデパート用のパンを作り続ける。
今日はお店の方が定休日のため、デパートの分だけ製造して
早く帰ってきました。
21日までお休みがありません。
しんどくなってきました。
でも昨日は、前の職場の人たちが集まってご飯を食べると言うので参加してきました。
帰ってきたら10時で、12時半には起床して出社、
おかげで睡眠不足です。
先日、「黄泉がえり」という映画がテレビで放送されたので、
録画しておいてヒマな時に見た。
作品自体はま〜普通なんだろうけど、
テーマが心にひっかかり、
今更ながら、RUI聴いてみました。
「もう会えない、でも会いたい人・・」
誰にでも心に共感できるテーマだったのか、
これがこの作品のヒットした理由でしょうか。
作品の善し悪しとは別に、
この映画は話題になっていたような気がする。
今回見てみて、その理由がなんとなくわかった。
RUIの歌うテーマ曲、ライブ、
コレが見事に、日常的に心のすみっこに追いやられている、
でも忘れきれない「人とのつながり」を
思い起こさせる。
とくに1曲目の歌、
「暁も待てぬ想い、現には逢うよしもなく
長き夜に身悶えしは、また恋しや」
家族、友人、恋人、
誰に置き換えたとしても、人生、誰にでも必ずこころの中にこういう人が存在するのではないだろうか。
今日はお店の方が定休日のため、デパートの分だけ製造して
早く帰ってきました。
21日までお休みがありません。
しんどくなってきました。
でも昨日は、前の職場の人たちが集まってご飯を食べると言うので参加してきました。
帰ってきたら10時で、12時半には起床して出社、
おかげで睡眠不足です。
先日、「黄泉がえり」という映画がテレビで放送されたので、
録画しておいてヒマな時に見た。
作品自体はま〜普通なんだろうけど、
テーマが心にひっかかり、
今更ながら、RUI聴いてみました。
「もう会えない、でも会いたい人・・」
誰にでも心に共感できるテーマだったのか、
これがこの作品のヒットした理由でしょうか。
作品の善し悪しとは別に、
この映画は話題になっていたような気がする。
今回見てみて、その理由がなんとなくわかった。
RUIの歌うテーマ曲、ライブ、
コレが見事に、日常的に心のすみっこに追いやられている、
でも忘れきれない「人とのつながり」を
思い起こさせる。
とくに1曲目の歌、
「暁も待てぬ想い、現には逢うよしもなく
長き夜に身悶えしは、また恋しや」
家族、友人、恋人、
誰に置き換えたとしても、人生、誰にでも必ずこころの中にこういう人が存在するのではないだろうか。
蒔いた種の刈り取り
2004年3月28日7歳年下の弟が公立高校入試を終え、学区内でトップの高校に合格した。これは私にとっても嬉しいことだった。
私の中学受験は思い返せば定期テストの延長線上にあったようなものだった。私は人一倍、必死になることがキライで、
地道な努力というものが大嫌いだった。
幸い必死にならなくても学年ではいつも上位の成績を取れる程度の学力を持っていたので、それ以上を望もうとは思わなかった。
高校受験も、努力しなくてもある程度のレベルの高校には入れるとわかっていたので、「あと少し努力してトップ校を狙おう」とは思わなかった。
その結果、何の努力をすることもなく、それなりのレベルの進学校に合格した。しかし、その高校はあくまでも「それなりの進学校」であり、エリートのためのトップ校ではなかった。
努力なしでトップ校に入れるほどの実力は私には無かったのだ。
でも弟はそのトップ校に合格した。
弟と私の持っている能力に、はっきり言ってさほどの違いはなかった。同じ遺伝子を受け継いでいるのだから、当然同じくらいの能力なのだ。むしろ知能に関しては私の方が高い能力を持っていると父も母も思っていた。
その弟が簡単にトップ校に合格したはずはなかった。
弟とは一緒に暮らしてはいないし、勉強する姿を見ていたわけではないのに、彼がどんな受験期を過ごしたか、どのくらいの努力をして、どのくらいのプレッシャーを持っていたか、そういったことが私には手に取るようにわかる。
血をわけているとは、なるほどこういうことなのか、と私は思った。
彼は努力した。あと一歩の努力をすればトップに入れる。
あと一歩の努力をしなかったとしても、それなりのレベルの高校には入れるのに、彼はその一歩の努力を怠らなかった。
私が7年前にしなかった努力だ。
しなかったのではない、私には出来なかった。
7年たって、弟の姿を見て、初めて私は気づいたのだ。
私のしたことは堕落以外の何者でも無かった。
弟に出来たことが私には出来なかったのだ。
これは私の欠点であり、弱さであり、
私の人生そのものだった。
私は今、与えられた能力を最大限に生かし、努力によってさらに可能性を広げた弟を見て、自分を恥じた。
努力無しで上位に入れた私の学力は、もともと持っている能力なのだから、別に私の力では無かった。
私はその恵まれた能力を生かして、さらに伸ばす努力をしなかった。与えられたものだけで満足した。
それどころか、そのもともと持っていた能力さえ、自分の力で手に入れた地位かのように振る舞った。
結果的に私のこの怠慢は、その後の自分の人生に報酬として現れた。
自分でまいた種の刈り取りは、自分で行わなければいけない。
逃げてはいけなく、その刈り取りは長い。
私は今、過去の自分の誤って蒔いた種の刈り取りをしているのだ。
決してすぐ終わるものではない。
何年もかけて刈り取るのだ。
過ちに気づいて、反省したからといって
出直せるものではない。
刈り取りがおわるまではじっと耐えるのだ。
でも、今の自分のなんとも言えないこの心の痛みや
労働の苦しみが過去の報酬だと思うと、
なんとなく、やりきれなさが消え、
当然の報いだという諦めと同時に
深い慰めを受けている。
以上、弟を見て学んだこと。
私の中学受験は思い返せば定期テストの延長線上にあったようなものだった。私は人一倍、必死になることがキライで、
地道な努力というものが大嫌いだった。
幸い必死にならなくても学年ではいつも上位の成績を取れる程度の学力を持っていたので、それ以上を望もうとは思わなかった。
高校受験も、努力しなくてもある程度のレベルの高校には入れるとわかっていたので、「あと少し努力してトップ校を狙おう」とは思わなかった。
その結果、何の努力をすることもなく、それなりのレベルの進学校に合格した。しかし、その高校はあくまでも「それなりの進学校」であり、エリートのためのトップ校ではなかった。
努力なしでトップ校に入れるほどの実力は私には無かったのだ。
でも弟はそのトップ校に合格した。
弟と私の持っている能力に、はっきり言ってさほどの違いはなかった。同じ遺伝子を受け継いでいるのだから、当然同じくらいの能力なのだ。むしろ知能に関しては私の方が高い能力を持っていると父も母も思っていた。
その弟が簡単にトップ校に合格したはずはなかった。
弟とは一緒に暮らしてはいないし、勉強する姿を見ていたわけではないのに、彼がどんな受験期を過ごしたか、どのくらいの努力をして、どのくらいのプレッシャーを持っていたか、そういったことが私には手に取るようにわかる。
血をわけているとは、なるほどこういうことなのか、と私は思った。
彼は努力した。あと一歩の努力をすればトップに入れる。
あと一歩の努力をしなかったとしても、それなりのレベルの高校には入れるのに、彼はその一歩の努力を怠らなかった。
私が7年前にしなかった努力だ。
しなかったのではない、私には出来なかった。
7年たって、弟の姿を見て、初めて私は気づいたのだ。
私のしたことは堕落以外の何者でも無かった。
弟に出来たことが私には出来なかったのだ。
これは私の欠点であり、弱さであり、
私の人生そのものだった。
私は今、与えられた能力を最大限に生かし、努力によってさらに可能性を広げた弟を見て、自分を恥じた。
努力無しで上位に入れた私の学力は、もともと持っている能力なのだから、別に私の力では無かった。
私はその恵まれた能力を生かして、さらに伸ばす努力をしなかった。与えられたものだけで満足した。
それどころか、そのもともと持っていた能力さえ、自分の力で手に入れた地位かのように振る舞った。
結果的に私のこの怠慢は、その後の自分の人生に報酬として現れた。
自分でまいた種の刈り取りは、自分で行わなければいけない。
逃げてはいけなく、その刈り取りは長い。
私は今、過去の自分の誤って蒔いた種の刈り取りをしているのだ。
決してすぐ終わるものではない。
何年もかけて刈り取るのだ。
過ちに気づいて、反省したからといって
出直せるものではない。
刈り取りがおわるまではじっと耐えるのだ。
でも、今の自分のなんとも言えないこの心の痛みや
労働の苦しみが過去の報酬だと思うと、
なんとなく、やりきれなさが消え、
当然の報いだという諦めと同時に
深い慰めを受けている。
以上、弟を見て学んだこと。
冬のクールで見ていたドラマが全部終わった。
プライド、エースをねらえ、白い巨塔、の3本。
まず、プライドですが、佐藤浩市が好きという理由だけで見てました・・・。
最初から最後まで、わざとらしいストーリーだった・・・。
ま〜月9だし、キムタクだし、あのくらい大げさじゃないと
話題性に欠けるもんね、いいんじゃないでしょうか。
でも、野島伸司ってあの程度の脚本家だったのでしょうか。
昔はもっと深くて中身の濃い内容で、避難とか浴びちゃうくらい人間の深層心理を突いてたような気がするんだけど、
やっぱ月9&キムタク用に、現代の流行を取り入れて、
妥協しちゃったんでしょうか。それともネタの限界でしょうか。
プライドってタイトルつけてるくせに、脚本家野島伸司のプライドはどこに行っちゃったんだ?
メイビーメイビーって、あの名セリフにどれほどの意味があるんだ?
佐藤浩市の失明やら坂口くんの下半身麻痺やら、表面的な話題性で中身をごまかしてません???
腑に落ちないまま、何となく高視聴率で最終回を迎え、結果良ければすべて良しの時代ですか、終わってみて冷静に考えればプライドってタイトルは滑稽な限りです。
次にエースをねらえ、これはこんなモンかな〜という感じ。
出演者を見た段階で、そこまでのものは期待してませんから、
この程度で合格ラインです。
お蝶夫人かわいかったし、上戸彩もかわいいし、で、それだけでオッケーです。原作見てないから、特に私としてはドラマ自体に文句はなしです。
ただ、最後の展開が早すぎたので、もうちょいゆっくり見たかったかな〜。
白い巨塔、これはどうでしょう。
私としてはおもしろかった。
田宮版は見てないし原作も知らないけど、
内容は興味深かったので、毎週楽しく見てました。
唐沢&江口という配役には納得出来なかったけど、
江口洋介は思ったより良かった。
というか、納得!!
でも唐沢に財前は無理です。
彼には荷が重すぎましたね。
佐藤浩市がやるべきでした。
でも佐藤浩市が財前となると、里見先生に江口洋介じゃ
アンバランス、と言うわけで、里見先生は中井貴一で、
この配役なら視聴率あと2%上乗せだったはず!?
う〜ん、でもこの二人が主演なら、若い世代の視聴者は減っていたかもね。その変わり前作のファンの人たちからの指示は良かったはず・・・。
配役の話はいいとして、ことらのドラマもストーリー展開の
バランス悪すぎ。
最初ゆっくりやりすぎて、後半押しちゃってあわてて撮りましたって感じ。財前がガンだとわかってから、手術して死ぬまでの展開早すぎて、肝心な所が一段抜かしでポンポン進んじゃって・・・。
結局、財前にとっての裁判の意味や、里見先生への理解、などなど、何も考えないまま死んでいったかのように見えました。
だいたい手術して数日で、机に向かって座ったり、イスから落ちたり、無理だから・・・。
タクシーに乗って出かけるのも無理だし、傷口がふさがる前に咳をあんなに簡単にゴホゴホ出来ないから。
最近のドラマって内容が複雑になってる分だけ、
雑に作られてる感じがするな〜。
だから終わった後、何となくしっくり来ない。
あそこの場面、なんでいきなりこうなったんだろ、とか
謎が残る。
残るは大河ドラマ新撰組です!!
これは楽しくみますぞ〜〜!!
プライド、エースをねらえ、白い巨塔、の3本。
まず、プライドですが、佐藤浩市が好きという理由だけで見てました・・・。
最初から最後まで、わざとらしいストーリーだった・・・。
ま〜月9だし、キムタクだし、あのくらい大げさじゃないと
話題性に欠けるもんね、いいんじゃないでしょうか。
でも、野島伸司ってあの程度の脚本家だったのでしょうか。
昔はもっと深くて中身の濃い内容で、避難とか浴びちゃうくらい人間の深層心理を突いてたような気がするんだけど、
やっぱ月9&キムタク用に、現代の流行を取り入れて、
妥協しちゃったんでしょうか。それともネタの限界でしょうか。
プライドってタイトルつけてるくせに、脚本家野島伸司のプライドはどこに行っちゃったんだ?
メイビーメイビーって、あの名セリフにどれほどの意味があるんだ?
佐藤浩市の失明やら坂口くんの下半身麻痺やら、表面的な話題性で中身をごまかしてません???
腑に落ちないまま、何となく高視聴率で最終回を迎え、結果良ければすべて良しの時代ですか、終わってみて冷静に考えればプライドってタイトルは滑稽な限りです。
次にエースをねらえ、これはこんなモンかな〜という感じ。
出演者を見た段階で、そこまでのものは期待してませんから、
この程度で合格ラインです。
お蝶夫人かわいかったし、上戸彩もかわいいし、で、それだけでオッケーです。原作見てないから、特に私としてはドラマ自体に文句はなしです。
ただ、最後の展開が早すぎたので、もうちょいゆっくり見たかったかな〜。
白い巨塔、これはどうでしょう。
私としてはおもしろかった。
田宮版は見てないし原作も知らないけど、
内容は興味深かったので、毎週楽しく見てました。
唐沢&江口という配役には納得出来なかったけど、
江口洋介は思ったより良かった。
というか、納得!!
でも唐沢に財前は無理です。
彼には荷が重すぎましたね。
佐藤浩市がやるべきでした。
でも佐藤浩市が財前となると、里見先生に江口洋介じゃ
アンバランス、と言うわけで、里見先生は中井貴一で、
この配役なら視聴率あと2%上乗せだったはず!?
う〜ん、でもこの二人が主演なら、若い世代の視聴者は減っていたかもね。その変わり前作のファンの人たちからの指示は良かったはず・・・。
配役の話はいいとして、ことらのドラマもストーリー展開の
バランス悪すぎ。
最初ゆっくりやりすぎて、後半押しちゃってあわてて撮りましたって感じ。財前がガンだとわかってから、手術して死ぬまでの展開早すぎて、肝心な所が一段抜かしでポンポン進んじゃって・・・。
結局、財前にとっての裁判の意味や、里見先生への理解、などなど、何も考えないまま死んでいったかのように見えました。
だいたい手術して数日で、机に向かって座ったり、イスから落ちたり、無理だから・・・。
タクシーに乗って出かけるのも無理だし、傷口がふさがる前に咳をあんなに簡単にゴホゴホ出来ないから。
最近のドラマって内容が複雑になってる分だけ、
雑に作られてる感じがするな〜。
だから終わった後、何となくしっくり来ない。
あそこの場面、なんでいきなりこうなったんだろ、とか
謎が残る。
残るは大河ドラマ新撰組です!!
これは楽しくみますぞ〜〜!!
あべこべな世界
2004年3月11日人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し
焦るべからず・・
迷い立ち止まる日々もまた、これからの人生の糧となるのだろうか。
何だか私はずっと立ち止まったままのような気がする。
何も感じたくないと思うときは、死に憧れてしまう、死に向かって歩いているのが人生なら、なぜ立ち止まるのだろう。
意義というものは簡単には見いだせない、
どんなことでもだ。
生きることの意義も、死ぬことの意義も、
働くことの意義、愛する事、
でもそのすべてを無機質なものと思って割り切ることが
出来ないから、みんな悩み、迷い続けるのだろうか。
バカな上司がとってつけたような屁理屈を並べ立てて
筋道の通らない事を、堂々と説いている。
ふざけろよと心の中で思うけれど、
結局は無駄な抵抗は労力の無駄遣いであり、
だからと言って、誠実に従う気もしない。
曖昧に相づちを打って、てきとうに対応する。
自分の評価が下がっていく。
これでいいのかとたまに考える。
何のために考えているのかはよくわからない。
会社のためか、自分のためか、
べつに何のためと言うわけではないような気もする。
正しいことを言う者が救われるわけではないのが
社会というもので、それはつまり、
その人間の権力の有無だけが、その言葉の正か誤かを決めるのだ。
こんなめちゃくちゃな話に、いちいちその意義を
唱えていても、それこそ無意味だ。
べつに正義が勝つべきだとか、そんな理想論を説いてるわけではないけど、あべこべで納得行かないことにぶち当たるたびに
途方に暮れるのも疲れるのだ。
情とか中途半端な正義感とか、誠実さとか、
そんなものを捨てきれないからダメなのだ。
でもそれがあるから人間らしくていいじゃないかと思う自分。
熱心な働き者はすばらしいという法律のようなものが会社には暗黙の了解で成立している。
おい、それじゃ〜働くために生きているのか?
誰がそんなこと本気で思っているんだよ?
だけど、確かに働かざる者食うべからずであり、
働く者は食ってもいいのだ。
と言うことはやっぱり食うために働くんだろ?
どう違うんだ?
全然違うだろ、
いや同じ事だ!
うるせ〜。
いずれにしても
日本人は働き過ぎだ!!
焦るべからず・・
迷い立ち止まる日々もまた、これからの人生の糧となるのだろうか。
何だか私はずっと立ち止まったままのような気がする。
何も感じたくないと思うときは、死に憧れてしまう、死に向かって歩いているのが人生なら、なぜ立ち止まるのだろう。
意義というものは簡単には見いだせない、
どんなことでもだ。
生きることの意義も、死ぬことの意義も、
働くことの意義、愛する事、
でもそのすべてを無機質なものと思って割り切ることが
出来ないから、みんな悩み、迷い続けるのだろうか。
バカな上司がとってつけたような屁理屈を並べ立てて
筋道の通らない事を、堂々と説いている。
ふざけろよと心の中で思うけれど、
結局は無駄な抵抗は労力の無駄遣いであり、
だからと言って、誠実に従う気もしない。
曖昧に相づちを打って、てきとうに対応する。
自分の評価が下がっていく。
これでいいのかとたまに考える。
何のために考えているのかはよくわからない。
会社のためか、自分のためか、
べつに何のためと言うわけではないような気もする。
正しいことを言う者が救われるわけではないのが
社会というもので、それはつまり、
その人間の権力の有無だけが、その言葉の正か誤かを決めるのだ。
こんなめちゃくちゃな話に、いちいちその意義を
唱えていても、それこそ無意味だ。
べつに正義が勝つべきだとか、そんな理想論を説いてるわけではないけど、あべこべで納得行かないことにぶち当たるたびに
途方に暮れるのも疲れるのだ。
情とか中途半端な正義感とか、誠実さとか、
そんなものを捨てきれないからダメなのだ。
でもそれがあるから人間らしくていいじゃないかと思う自分。
熱心な働き者はすばらしいという法律のようなものが会社には暗黙の了解で成立している。
おい、それじゃ〜働くために生きているのか?
誰がそんなこと本気で思っているんだよ?
だけど、確かに働かざる者食うべからずであり、
働く者は食ってもいいのだ。
と言うことはやっぱり食うために働くんだろ?
どう違うんだ?
全然違うだろ、
いや同じ事だ!
うるせ〜。
いずれにしても
日本人は働き過ぎだ!!
大学
2004年2月22日大学に行きたい。
学生時代からずっと大学進学をするつもりだったのに、
家庭の事情や、あれこれで高校3年の夏、土壇場で
受験勉強を辞めた。
それから四年たって、大学へ進学した同級生たちは全員もう卒業だ。何人かは大学院へ進むらしい。
みんな長い間、努力してきた結果なのだ。
私はそれを怠ったから今、こうして働いているわけだ。
家の事情とか言い訳をするのは簡単だけど、
結局私には根性がなかったのだろう。
軽い気持ちで受験勉強もどきのような勉強をはじめようか
と考えて、英語の参考書を開くと、
全然わからない。
大学受験をなめていた・・・。
いまさら大学に行くのは無理かと思われるけれど、
プレッシャーがない分、気楽に勉強して
受験くらいはしてみたいものだ。
理数科出身だから、理科数学ならそこそこ何とかなるだろう
なんて思っていたけれど、英語をこんなに忘れているんだから
数学も理科も同じだろう・・・
あ〜無理だ。
高校を卒業して以来4年も勉強していないのに、
今更独学で勉強なんて・・・
でもやりたいのだ。
やるのだ。
趣味程度に・・・
学生時代からずっと大学進学をするつもりだったのに、
家庭の事情や、あれこれで高校3年の夏、土壇場で
受験勉強を辞めた。
それから四年たって、大学へ進学した同級生たちは全員もう卒業だ。何人かは大学院へ進むらしい。
みんな長い間、努力してきた結果なのだ。
私はそれを怠ったから今、こうして働いているわけだ。
家の事情とか言い訳をするのは簡単だけど、
結局私には根性がなかったのだろう。
軽い気持ちで受験勉強もどきのような勉強をはじめようか
と考えて、英語の参考書を開くと、
全然わからない。
大学受験をなめていた・・・。
いまさら大学に行くのは無理かと思われるけれど、
プレッシャーがない分、気楽に勉強して
受験くらいはしてみたいものだ。
理数科出身だから、理科数学ならそこそこ何とかなるだろう
なんて思っていたけれど、英語をこんなに忘れているんだから
数学も理科も同じだろう・・・
あ〜無理だ。
高校を卒業して以来4年も勉強していないのに、
今更独学で勉強なんて・・・
でもやりたいのだ。
やるのだ。
趣味程度に・・・
神の領域と人間の領域
2004年2月7日 病気と人生今週に入ってから深夜2時出勤が続いている。
当然、就寝時間も早くなるため、睡眠導入効果の高いアルコールにもお世話にならなくてはいけなくなってしまった。
こんな不健康な生活のせいか、今日、仕事中ずっと
一つの奇妙な言葉が頭の上をグルグルと回っていた。
「神の領域」
クローン人間製造とか、代理母出産とか
信じられない言葉がどんどん頭に浸透してくるせいかも知れない。
自分が病気になったときから
ある一つの疑問が浮かんでいた。
「お腹をメスで切り開けて、そこから内臓を取り出すという
行為は一体なんだろう。」
外科医が聞いたら激怒するような発言かも知れないけれど、
そして実際、その行為によって命拾いした私が
口にする言葉ではないのだけど、
一年たった今でもこの不思議な思いは消えていない。
手術なんて当たり前の時代、
医学の進歩によって救われた人間は数え切れない。
クローン人間や代理母出産、核兵器などと聞いて
身震いする人は山ほどいても
手術という言葉に疑問をもつ人間はいないだろう。
私自身、今の時代に生まれてきたからこそ
命が救われ、おおげさにも
ここまで医学を進歩させてくれた学者さんや、
技術を身につけたお医者さんたちに感謝した。
だけど、と思ったのだ。
だけど、癌とは死ぬ病気なのだ。
癌になった瞬間から、その人間は
「生きる人」から「死にゆく人」へと人生の方向を変えられたはずなのだ。
方向を変えられた、誰に?
やっぱりそれは神だ。
もしその神の与えた運命に従うならば
私は死にゆくべきだったのだろうか。
死の原因となる癌細胞を、内臓と一緒に
切り取って捨ててしまえば
「死にゆく人」はまた「生きる人」へと
方向を変えることが出来る。
でもここで私は思う。
癌を発病させた、
つまり、「生きる人」を「死にゆく人」へと
移行させたのは人間ではない。
では誰か?
神と呼ぼうか、大自然の力と呼ぼうか、
偶然と呼ぼうか、
私は神と呼ぶ。
この時点で人間に選択肢はない。
発病させられたら、癌患者になるだけだ。
全くの受け身でしかあり得ない。
そしてここから、人間の抵抗が始まる。
「死ねというつもりだろうが死にはしないぞ、
人間は偉くなったんだ、癌くらいミソっかすみたいなもんだぞ、
胃を切り取ってしまえば、おまえが私を殺そうとしても
私は死んだりはしないのさ、どうだ、まいったか」
といった具合で、見事に
「生きる人」へと方向転換する。
そしてその方向転換をまた操る者の存在がある。
再発させるか、あるいはそのまま生き続けるか、
再発すれば人間はまた、手術だ抗ガン剤だ、と
抵抗を繰り返す。
だけど結局、完全な方向性を作ることは、人間には出来ない。
絶対再発しない、と断言することは出来ないのだ。
いつでも方向を変えるのは神で、こちらはただそれを受けてから、抵抗するだけなのだ。
もしクローン人間がこれからこの世界でメジャーになっていって、クローン人間と私たちが共存することになったら、と考えてみる。
クローン人間もどんどん知能を鍛えていくだろう。
そして最初は自分のご主人様だった私たち人間を、
いつか滅ぼそうと戦争を仕掛けて来るかも知れない。
そのとき私たち人間は何て言うだろう。
「おまえを作ったのは私たちだ。
私たちはおまえよりえらいんだぞ、私たちがおまえを
支配するんだ。」とでも言うだろうか。
でもクローン人間はありとあらゆる仲間の頭を振り絞り、
知恵を合わせて、私たち人間に勝つべく作戦を
繰り広げるだろう。
そして私たち人間は、
「何を考えてるんだ、あいつらは。
まったく非常識だ、私たちが甘やかしすぎたのだろうか。」
と悩むだろう。
私はこの光景が今、神と人間の間で起きている気がしてならないのだ。
「人間は犬を飼う。」普通の事だ。
「犬が人間を飼う。」あり得ない、あってはならないことだと思うのではないだろうか。
こうした常識、大昔から決められてきた
それぞれの生きる領域、
人間は今、人間の領域を越え、
神の領域に入ろうとしているような気がしてならない。
ある人は「そんなの、医学を手にしたときから、とっくに人間は領域を越えている、今更何を言うんだ」と言った。
領域の範囲は私にはわからない。
人が良心で領域を越えた、と感じたときは
そこが境界線なのかも知れない、と思う。
当然、就寝時間も早くなるため、睡眠導入効果の高いアルコールにもお世話にならなくてはいけなくなってしまった。
こんな不健康な生活のせいか、今日、仕事中ずっと
一つの奇妙な言葉が頭の上をグルグルと回っていた。
「神の領域」
クローン人間製造とか、代理母出産とか
信じられない言葉がどんどん頭に浸透してくるせいかも知れない。
自分が病気になったときから
ある一つの疑問が浮かんでいた。
「お腹をメスで切り開けて、そこから内臓を取り出すという
行為は一体なんだろう。」
外科医が聞いたら激怒するような発言かも知れないけれど、
そして実際、その行為によって命拾いした私が
口にする言葉ではないのだけど、
一年たった今でもこの不思議な思いは消えていない。
手術なんて当たり前の時代、
医学の進歩によって救われた人間は数え切れない。
クローン人間や代理母出産、核兵器などと聞いて
身震いする人は山ほどいても
手術という言葉に疑問をもつ人間はいないだろう。
私自身、今の時代に生まれてきたからこそ
命が救われ、おおげさにも
ここまで医学を進歩させてくれた学者さんや、
技術を身につけたお医者さんたちに感謝した。
だけど、と思ったのだ。
だけど、癌とは死ぬ病気なのだ。
癌になった瞬間から、その人間は
「生きる人」から「死にゆく人」へと人生の方向を変えられたはずなのだ。
方向を変えられた、誰に?
やっぱりそれは神だ。
もしその神の与えた運命に従うならば
私は死にゆくべきだったのだろうか。
死の原因となる癌細胞を、内臓と一緒に
切り取って捨ててしまえば
「死にゆく人」はまた「生きる人」へと
方向を変えることが出来る。
でもここで私は思う。
癌を発病させた、
つまり、「生きる人」を「死にゆく人」へと
移行させたのは人間ではない。
では誰か?
神と呼ぼうか、大自然の力と呼ぼうか、
偶然と呼ぼうか、
私は神と呼ぶ。
この時点で人間に選択肢はない。
発病させられたら、癌患者になるだけだ。
全くの受け身でしかあり得ない。
そしてここから、人間の抵抗が始まる。
「死ねというつもりだろうが死にはしないぞ、
人間は偉くなったんだ、癌くらいミソっかすみたいなもんだぞ、
胃を切り取ってしまえば、おまえが私を殺そうとしても
私は死んだりはしないのさ、どうだ、まいったか」
といった具合で、見事に
「生きる人」へと方向転換する。
そしてその方向転換をまた操る者の存在がある。
再発させるか、あるいはそのまま生き続けるか、
再発すれば人間はまた、手術だ抗ガン剤だ、と
抵抗を繰り返す。
だけど結局、完全な方向性を作ることは、人間には出来ない。
絶対再発しない、と断言することは出来ないのだ。
いつでも方向を変えるのは神で、こちらはただそれを受けてから、抵抗するだけなのだ。
もしクローン人間がこれからこの世界でメジャーになっていって、クローン人間と私たちが共存することになったら、と考えてみる。
クローン人間もどんどん知能を鍛えていくだろう。
そして最初は自分のご主人様だった私たち人間を、
いつか滅ぼそうと戦争を仕掛けて来るかも知れない。
そのとき私たち人間は何て言うだろう。
「おまえを作ったのは私たちだ。
私たちはおまえよりえらいんだぞ、私たちがおまえを
支配するんだ。」とでも言うだろうか。
でもクローン人間はありとあらゆる仲間の頭を振り絞り、
知恵を合わせて、私たち人間に勝つべく作戦を
繰り広げるだろう。
そして私たち人間は、
「何を考えてるんだ、あいつらは。
まったく非常識だ、私たちが甘やかしすぎたのだろうか。」
と悩むだろう。
私はこの光景が今、神と人間の間で起きている気がしてならないのだ。
「人間は犬を飼う。」普通の事だ。
「犬が人間を飼う。」あり得ない、あってはならないことだと思うのではないだろうか。
こうした常識、大昔から決められてきた
それぞれの生きる領域、
人間は今、人間の領域を越え、
神の領域に入ろうとしているような気がしてならない。
ある人は「そんなの、医学を手にしたときから、とっくに人間は領域を越えている、今更何を言うんだ」と言った。
領域の範囲は私にはわからない。
人が良心で領域を越えた、と感じたときは
そこが境界線なのかも知れない、と思う。
コメントをみる |

迷える者
2004年2月6日価値を見いだすことが時には困難で、
どんなに思いを巡らせても、意味なんかかけらもなくて、
それでもこんな自分に、この人生に価値を見いだそうとする。
バランスの悪さ、そのアンバランスの中には
無力さしか見えない。
だから必死になって、
自分のあり方を位置づけようとする。
臆病な傍観者たちが停滞していく中
自分もその波に流れていくのを感じ、
必死に抵抗しようと、その波を逆流する。
そこに何が見いだせるのか、知るはずもなく。
時には、過去に縛られる。
忘れようと何度も呪文のように繰り返す言葉も
一瞬の隙を見せれば、
ことごとく停滞の波にのまれる。
今も過去も、そこには時間の概念なんかない。
ただ、私の心を支配するものが
私の未来をも支配する。
何もかも捨て去れれば
何もかも忘れてしまえれば楽になれるのだろうか。
でも、過去を失った自分に、
何が残るのだろう。
たとえ、無意味な、百害あって一理無しの過去であったとしても
それを失えば、私は人生を失ったと同じだ。
傷を傷とも思わず、不幸を不幸とも思えなくなってしまった、
けれど決して幸福ではない
このアンバランスな軌跡が
少しずつ軌道をかえて
突き進んでいく。
もう私の手には負えず、
助けも求められない私は
この雪の中でひたすら立ちすくみ、
明日、何時に起きるのかさえわからずに
途方に暮れる。
どんなに思いを巡らせても、意味なんかかけらもなくて、
それでもこんな自分に、この人生に価値を見いだそうとする。
バランスの悪さ、そのアンバランスの中には
無力さしか見えない。
だから必死になって、
自分のあり方を位置づけようとする。
臆病な傍観者たちが停滞していく中
自分もその波に流れていくのを感じ、
必死に抵抗しようと、その波を逆流する。
そこに何が見いだせるのか、知るはずもなく。
時には、過去に縛られる。
忘れようと何度も呪文のように繰り返す言葉も
一瞬の隙を見せれば、
ことごとく停滞の波にのまれる。
今も過去も、そこには時間の概念なんかない。
ただ、私の心を支配するものが
私の未来をも支配する。
何もかも捨て去れれば
何もかも忘れてしまえれば楽になれるのだろうか。
でも、過去を失った自分に、
何が残るのだろう。
たとえ、無意味な、百害あって一理無しの過去であったとしても
それを失えば、私は人生を失ったと同じだ。
傷を傷とも思わず、不幸を不幸とも思えなくなってしまった、
けれど決して幸福ではない
このアンバランスな軌跡が
少しずつ軌道をかえて
突き進んでいく。
もう私の手には負えず、
助けも求められない私は
この雪の中でひたすら立ちすくみ、
明日、何時に起きるのかさえわからずに
途方に暮れる。
何だか腹が立つ
前に友達が、人が読んで嫌な気持ちになることは書きたくないって言っていたけど、私は書いてしまう。
なんだか、世の中不公平だ。
そう思っている人は私だけじゃないはず。
社会保険事務所からは国民年金払え払えって
催促が来る。
ずっと払ってる、たった3ヶ月くらい払ってなかったときが
あるだけなのに、払え払えってうるさい。
絶対払いたくない。
私は70歳まで絶対生きないし障害者年金ももらえない。
はっきり言って、胃切者だって障害者だ。
人数が多いだけだ。
多すぎるから障害者認定出来ないだけだろう。
癌になった私が悪いのかも知れないけど、術後の後遺症や、残りの人生を考えると、もうウンザリ。
私は決して怠けてない。
ちゃんと働いているし、病気のせいにしてさぼったこともない。
でも体は大変だ。
だれにも言わないけど、手術前のように健康ではない。
1年以上たつのに体調も前ほどは良くならない。
お金がいっぱいあるくせに年金でユウユウと暮らしている人もいっぱいいる。
なのに何で私は仕事をしないと病院に行くお金さえないの?
何歳まで生きてとしても、毎年毎年胃カメラ検査が必要。
今後の体調によっては抗ガン剤も手術も必要になるだろう。
生命保険に入ってなかった私が悪いんだ。
そう、そんなのわかってる。
でも21歳で癌になるなんて
誰が想像するわけ?
癌保険?そんなもの入ってるわけないじゃん。
21だよ、まだ早いでしょ、癌保険。
スキルス胃癌?そんなものの知識なんか
ありませんでした。
みんなもほとんどの人はないんじゃないの?
みんなはいいさ。
スキルス胃癌になんてきっとならないだろうから。
でもなってしまったらもう終わり。
五年後、やっと保険に入れる頃にはもう再発してるさ。
そのときの抗ガン剤の費用は?
手術費用は?
誰が払うの?
今から貯めて置かないとなんないの?
何百万ですか?
私は再発したときのためにお金を貯める。
そのために今仕事をするわけですか。
そして再発して、抗ガン剤を打って、
結局、治らずにそのままベッドの上で死ぬのですか。
冗談じゃない、こんな人生。
国民年金、三ヶ月分払えば、再発したときの
面倒をみてくれるのですか。
それならはらいますよ。
それから、保険の勧誘してくるウルサイセールスマンの人、
そんなに入れたいなら入れてよ。
入れれるモンなら入れてみな。
スキルス胃ガンだよ。
はーっ。
すっきりしませんよ、このくらいでは。
前に友達が、人が読んで嫌な気持ちになることは書きたくないって言っていたけど、私は書いてしまう。
なんだか、世の中不公平だ。
そう思っている人は私だけじゃないはず。
社会保険事務所からは国民年金払え払えって
催促が来る。
ずっと払ってる、たった3ヶ月くらい払ってなかったときが
あるだけなのに、払え払えってうるさい。
絶対払いたくない。
私は70歳まで絶対生きないし障害者年金ももらえない。
はっきり言って、胃切者だって障害者だ。
人数が多いだけだ。
多すぎるから障害者認定出来ないだけだろう。
癌になった私が悪いのかも知れないけど、術後の後遺症や、残りの人生を考えると、もうウンザリ。
私は決して怠けてない。
ちゃんと働いているし、病気のせいにしてさぼったこともない。
でも体は大変だ。
だれにも言わないけど、手術前のように健康ではない。
1年以上たつのに体調も前ほどは良くならない。
お金がいっぱいあるくせに年金でユウユウと暮らしている人もいっぱいいる。
なのに何で私は仕事をしないと病院に行くお金さえないの?
何歳まで生きてとしても、毎年毎年胃カメラ検査が必要。
今後の体調によっては抗ガン剤も手術も必要になるだろう。
生命保険に入ってなかった私が悪いんだ。
そう、そんなのわかってる。
でも21歳で癌になるなんて
誰が想像するわけ?
癌保険?そんなもの入ってるわけないじゃん。
21だよ、まだ早いでしょ、癌保険。
スキルス胃癌?そんなものの知識なんか
ありませんでした。
みんなもほとんどの人はないんじゃないの?
みんなはいいさ。
スキルス胃癌になんてきっとならないだろうから。
でもなってしまったらもう終わり。
五年後、やっと保険に入れる頃にはもう再発してるさ。
そのときの抗ガン剤の費用は?
手術費用は?
誰が払うの?
今から貯めて置かないとなんないの?
何百万ですか?
私は再発したときのためにお金を貯める。
そのために今仕事をするわけですか。
そして再発して、抗ガン剤を打って、
結局、治らずにそのままベッドの上で死ぬのですか。
冗談じゃない、こんな人生。
国民年金、三ヶ月分払えば、再発したときの
面倒をみてくれるのですか。
それならはらいますよ。
それから、保険の勧誘してくるウルサイセールスマンの人、
そんなに入れたいなら入れてよ。
入れれるモンなら入れてみな。
スキルス胃ガンだよ。
はーっ。
すっきりしませんよ、このくらいでは。
コメントをみる |

雲の上の世界が近づいたり遠ざかったりする。
自分がもうすぐ死ぬと思っていた頃、死ぬのなんか怖くなかったはずの私でも、地獄に堕ちることを本気で怖がったし、どうせ死ぬならあれをやってから、コレをやってから・・・などとやり残したことがたくさん浮かんできた。
生き延びる、ということを真剣に考えた。
そして実際に生き延びることに成功した私は、
時間と共に、のぼりかけていた雲の上への階段を、無意識のうちに降りていて、地上に足をつけて歩いている。
でも雲の上へ続く階段は不思議なもので、意識的に登ったり降りたり出来ない。
それに登ってる最中も降りている最中も、そのことには気が付けないのだ。
心配や不安が突然襲って来て、はっと気がつくと今の今までいたはずの地上の世界は遙か下の方に小さく見えていて、私は階段の中段くらいで登るやら降りるやら、アタフタとしている。
だけど、地上で心配事や不安を数え始めた瞬間と、階段の中段あたりから下を見下ろす瞬間の間には、一瞬のスキもないような気がする。
つまり、階段を登っている時間はないのだ。
ワープしているか、瞬間移動しているか、きっとそんな感じなんだと思う。
最近やけに登ったり降りたりが多い。
自分が地上と雲と、どっちに近いんだろうなんて思う。
でも私はまだしないとならない事が色々あるから、神様もまだ呼んではくれないだろう。
死ぬ前に旅行をするとか、お金を全部使うとか、そんな事じゃなくて、しなければならないのは、やっぱり私の体に繋がれている、人との繋がりという無数の糸を、絡まっている糸はほどいて、ちぎれているものは結んで、ぜんぶまっすぐな糸に直してからじゃないと死んではいけないよと神様が言っているような気がするのだ。
私には糸なんか一本もないって、そんな風に言って生きていたけれど、せっぱ詰まると直さなくちゃいけない糸がたくさん見えてくるなんて、なんだか人間らしくていいな、と思う。
自分がもうすぐ死ぬと思っていた頃、死ぬのなんか怖くなかったはずの私でも、地獄に堕ちることを本気で怖がったし、どうせ死ぬならあれをやってから、コレをやってから・・・などとやり残したことがたくさん浮かんできた。
生き延びる、ということを真剣に考えた。
そして実際に生き延びることに成功した私は、
時間と共に、のぼりかけていた雲の上への階段を、無意識のうちに降りていて、地上に足をつけて歩いている。
でも雲の上へ続く階段は不思議なもので、意識的に登ったり降りたり出来ない。
それに登ってる最中も降りている最中も、そのことには気が付けないのだ。
心配や不安が突然襲って来て、はっと気がつくと今の今までいたはずの地上の世界は遙か下の方に小さく見えていて、私は階段の中段くらいで登るやら降りるやら、アタフタとしている。
だけど、地上で心配事や不安を数え始めた瞬間と、階段の中段あたりから下を見下ろす瞬間の間には、一瞬のスキもないような気がする。
つまり、階段を登っている時間はないのだ。
ワープしているか、瞬間移動しているか、きっとそんな感じなんだと思う。
最近やけに登ったり降りたりが多い。
自分が地上と雲と、どっちに近いんだろうなんて思う。
でも私はまだしないとならない事が色々あるから、神様もまだ呼んではくれないだろう。
死ぬ前に旅行をするとか、お金を全部使うとか、そんな事じゃなくて、しなければならないのは、やっぱり私の体に繋がれている、人との繋がりという無数の糸を、絡まっている糸はほどいて、ちぎれているものは結んで、ぜんぶまっすぐな糸に直してからじゃないと死んではいけないよと神様が言っているような気がするのだ。
私には糸なんか一本もないって、そんな風に言って生きていたけれど、せっぱ詰まると直さなくちゃいけない糸がたくさん見えてくるなんて、なんだか人間らしくていいな、と思う。
1 2