別れ

2004年5月28日 病気と人生
生まれたときからずっとお世話になってきた人が、昨日亡くなった。
母の中学校時代からの大親友で、私にとっては生まれたときから家族のようにかわいがってもらい、親戚のおばさんみたいな存在だった。
あまりに突然の死の知らせ。

おばさんは20代半ばで再生不良性貧血という特定疾患の重病にかかった。彼女と同じ頃、同じ病気になった人は、10年以上も前にみな死んだ。
発病から20年。長生きしたと言っていいだろう。
それでもまだ44歳。

おばさんは元気だった。
顔には薬の副作用でヒゲが生え、血のかたまりで顔中がブツブツしていて、入退院も日常茶飯事、輸血も注射も毎日の日課だったけれど、それでもおばさんは元気だった。

2週間ほど前に風邪をひいて、入院していたが今週の月曜日に無理矢理退院してきたという。いつもの事だった。
「そんな無茶を繰り返すと、いつか死ぬぞ」と周りに言われながらも、死なないのがおばさんの自慢だった。
かろうじてつながっているような命の綱渡りで、おばさんは驚異的な生命力を周りの人に見せつけていた。

昨日の未明、容態が急変して救急車で運ばれた。
赤血球の数値が30を切っていたという。(通常は380以上)
風邪の菌が体中に回っていた。
何度も嘔吐を繰り返し、そのうち眠るように死んでいったという。

いつ死んでもおかしくない人だった。
そういう病気だった。

でも、あまりに長く生きすぎて、周りの人はそのことを忘れていたかも知れなかった。
だから、誰もが予想してなかった突然の死に、困惑した。

うちの母などは、知らせの電話が来てもしばらくは平然としていた。ただぼーっとして、何がなんだかわからないと言った様子だった。
私はすぐにおばさんの家に駆けつけた。母は行かなかった。
向かう途中、車の中で頭の中を整理しようとしたが、混乱して出来なかった。
家に着くと、お線香の臭いとおばさんの遺体が私に現実を教えた。

帰ってくると、母が
「どうだった?」と言った。
「何が?」と聞くと、
「おばさん」という。
この「どうだった?」の言葉の意味が私にはわからなかった。
「どうだったって・・・。死んでたよ・・・。」
それ以外に、なんと答えるべきだったのだろう。
母は一瞬、とても悲しい顔をした。

母が言った「どうだった?」の意味は、
「本当に死んだの?」
そういう意味だったかもしれない。

おばさんと最後に会ったのは3ヶ月くらい前だった。
酔っ払ってうちに突然来て、母と3人で焼き鳥屋で飲んだ。
酔っ払いながら「あんたたちのことをいつも思っているんだ」と言っていた。
あれが最後だったなんて、私はまだ信じられない。

母は明日、おばさんに会いに行くそうだ。
今週に入ってから深夜2時出勤が続いている。
当然、就寝時間も早くなるため、睡眠導入効果の高いアルコールにもお世話にならなくてはいけなくなってしまった。

こんな不健康な生活のせいか、今日、仕事中ずっと
一つの奇妙な言葉が頭の上をグルグルと回っていた。
「神の領域」
クローン人間製造とか、代理母出産とか
信じられない言葉がどんどん頭に浸透してくるせいかも知れない。

自分が病気になったときから
ある一つの疑問が浮かんでいた。
「お腹をメスで切り開けて、そこから内臓を取り出すという
行為は一体なんだろう。」
外科医が聞いたら激怒するような発言かも知れないけれど、
そして実際、その行為によって命拾いした私が
口にする言葉ではないのだけど、
一年たった今でもこの不思議な思いは消えていない。

手術なんて当たり前の時代、
医学の進歩によって救われた人間は数え切れない。
クローン人間や代理母出産、核兵器などと聞いて
身震いする人は山ほどいても
手術という言葉に疑問をもつ人間はいないだろう。

私自身、今の時代に生まれてきたからこそ
命が救われ、おおげさにも
ここまで医学を進歩させてくれた学者さんや、
技術を身につけたお医者さんたちに感謝した。

だけど、と思ったのだ。
だけど、癌とは死ぬ病気なのだ。
癌になった瞬間から、その人間は
「生きる人」から「死にゆく人」へと人生の方向を変えられたはずなのだ。
方向を変えられた、誰に?
やっぱりそれは神だ。
 
もしその神の与えた運命に従うならば
私は死にゆくべきだったのだろうか。

死の原因となる癌細胞を、内臓と一緒に
切り取って捨ててしまえば
「死にゆく人」はまた「生きる人」へと
方向を変えることが出来る。

でもここで私は思う。
癌を発病させた、
つまり、「生きる人」を「死にゆく人」へと
移行させたのは人間ではない。
では誰か?
神と呼ぼうか、大自然の力と呼ぼうか、
偶然と呼ぼうか、
私は神と呼ぶ。

この時点で人間に選択肢はない。
発病させられたら、癌患者になるだけだ。
全くの受け身でしかあり得ない。
そしてここから、人間の抵抗が始まる。

「死ねというつもりだろうが死にはしないぞ、
人間は偉くなったんだ、癌くらいミソっかすみたいなもんだぞ、
胃を切り取ってしまえば、おまえが私を殺そうとしても
私は死んだりはしないのさ、どうだ、まいったか」
といった具合で、見事に
「生きる人」へと方向転換する。

そしてその方向転換をまた操る者の存在がある。
再発させるか、あるいはそのまま生き続けるか、
再発すれば人間はまた、手術だ抗ガン剤だ、と
抵抗を繰り返す。
だけど結局、完全な方向性を作ることは、人間には出来ない。
絶対再発しない、と断言することは出来ないのだ。

いつでも方向を変えるのは神で、こちらはただそれを受けてから、抵抗するだけなのだ。

もしクローン人間がこれからこの世界でメジャーになっていって、クローン人間と私たちが共存することになったら、と考えてみる。
クローン人間もどんどん知能を鍛えていくだろう。
そして最初は自分のご主人様だった私たち人間を、
いつか滅ぼそうと戦争を仕掛けて来るかも知れない。

そのとき私たち人間は何て言うだろう。
「おまえを作ったのは私たちだ。
私たちはおまえよりえらいんだぞ、私たちがおまえを
支配するんだ。」とでも言うだろうか。
でもクローン人間はありとあらゆる仲間の頭を振り絞り、
知恵を合わせて、私たち人間に勝つべく作戦を
繰り広げるだろう。
そして私たち人間は、
「何を考えてるんだ、あいつらは。
まったく非常識だ、私たちが甘やかしすぎたのだろうか。」
と悩むだろう。

私はこの光景が今、神と人間の間で起きている気がしてならないのだ。

「人間は犬を飼う。」普通の事だ。
「犬が人間を飼う。」あり得ない、あってはならないことだと思うのではないだろうか。

こうした常識、大昔から決められてきた
それぞれの生きる領域、
人間は今、人間の領域を越え、
神の領域に入ろうとしているような気がしてならない。

ある人は「そんなの、医学を手にしたときから、とっくに人間は領域を越えている、今更何を言うんだ」と言った。

領域の範囲は私にはわからない。
人が良心で領域を越えた、と感じたときは
そこが境界線なのかも知れない、と思う。
何だか腹が立つ
前に友達が、人が読んで嫌な気持ちになることは書きたくないって言っていたけど、私は書いてしまう。
なんだか、世の中不公平だ。
そう思っている人は私だけじゃないはず。
社会保険事務所からは国民年金払え払えって
催促が来る。
ずっと払ってる、たった3ヶ月くらい払ってなかったときが
あるだけなのに、払え払えってうるさい。
絶対払いたくない。
私は70歳まで絶対生きないし障害者年金ももらえない。
はっきり言って、胃切者だって障害者だ。
人数が多いだけだ。
多すぎるから障害者認定出来ないだけだろう。
癌になった私が悪いのかも知れないけど、術後の後遺症や、残りの人生を考えると、もうウンザリ。
私は決して怠けてない。
ちゃんと働いているし、病気のせいにしてさぼったこともない。
でも体は大変だ。
だれにも言わないけど、手術前のように健康ではない。
1年以上たつのに体調も前ほどは良くならない。
お金がいっぱいあるくせに年金でユウユウと暮らしている人もいっぱいいる。
なのに何で私は仕事をしないと病院に行くお金さえないの?
何歳まで生きてとしても、毎年毎年胃カメラ検査が必要。
今後の体調によっては抗ガン剤も手術も必要になるだろう。
生命保険に入ってなかった私が悪いんだ。
そう、そんなのわかってる。
でも21歳で癌になるなんて
誰が想像するわけ?
癌保険?そんなもの入ってるわけないじゃん。
21だよ、まだ早いでしょ、癌保険。

スキルス胃癌?そんなものの知識なんか
ありませんでした。
みんなもほとんどの人はないんじゃないの?
みんなはいいさ。
スキルス胃癌になんてきっとならないだろうから。

でもなってしまったらもう終わり。
五年後、やっと保険に入れる頃にはもう再発してるさ。
そのときの抗ガン剤の費用は?
手術費用は?
誰が払うの?
今から貯めて置かないとなんないの?
何百万ですか?
私は再発したときのためにお金を貯める。
そのために今仕事をするわけですか。
そして再発して、抗ガン剤を打って、
結局、治らずにそのままベッドの上で死ぬのですか。
 
冗談じゃない、こんな人生。
国民年金、三ヶ月分払えば、再発したときの
面倒をみてくれるのですか。
それならはらいますよ。

それから、保険の勧誘してくるウルサイセールスマンの人、
そんなに入れたいなら入れてよ。
入れれるモンなら入れてみな。
スキルス胃ガンだよ。

はーっ。
すっきりしませんよ、このくらいでは。
雲の上の世界が近づいたり遠ざかったりする。
自分がもうすぐ死ぬと思っていた頃、死ぬのなんか怖くなかったはずの私でも、地獄に堕ちることを本気で怖がったし、どうせ死ぬならあれをやってから、コレをやってから・・・などとやり残したことがたくさん浮かんできた。
生き延びる、ということを真剣に考えた。
そして実際に生き延びることに成功した私は、
時間と共に、のぼりかけていた雲の上への階段を、無意識のうちに降りていて、地上に足をつけて歩いている。
でも雲の上へ続く階段は不思議なもので、意識的に登ったり降りたり出来ない。
それに登ってる最中も降りている最中も、そのことには気が付けないのだ。
心配や不安が突然襲って来て、はっと気がつくと今の今までいたはずの地上の世界は遙か下の方に小さく見えていて、私は階段の中段くらいで登るやら降りるやら、アタフタとしている。
だけど、地上で心配事や不安を数え始めた瞬間と、階段の中段あたりから下を見下ろす瞬間の間には、一瞬のスキもないような気がする。
つまり、階段を登っている時間はないのだ。
ワープしているか、瞬間移動しているか、きっとそんな感じなんだと思う。
最近やけに登ったり降りたりが多い。
自分が地上と雲と、どっちに近いんだろうなんて思う。
でも私はまだしないとならない事が色々あるから、神様もまだ呼んではくれないだろう。
死ぬ前に旅行をするとか、お金を全部使うとか、そんな事じゃなくて、しなければならないのは、やっぱり私の体に繋がれている、人との繋がりという無数の糸を、絡まっている糸はほどいて、ちぎれているものは結んで、ぜんぶまっすぐな糸に直してからじゃないと死んではいけないよと神様が言っているような気がするのだ。
私には糸なんか一本もないって、そんな風に言って生きていたけれど、せっぱ詰まると直さなくちゃいけない糸がたくさん見えてくるなんて、なんだか人間らしくていいな、と思う。

interrupted

2003年12月19日 病気と人生
今年の札幌は雪が降るのが遅かった。
12月に入っても地面が見えていた。
これからチラチラ降り出したとしても、
積もるまでには結構時間がかかるし、
今年は1ヶ月分くらい得したな〜なんて思っていたら、10日前後に突然ガバっと降ってきて、あっという間に例年と変わらない雪景色になった。
結局、対した得はしてなかったみたいだ。
去年もこうだった、こんな風に寒かった。
嫌でもよみがえってくる。

ちょうど一年前の昨日、12月18日に、私は生まれて初めて手術を受けて、生まれて初めて入院した。

病院を4件回って、やっと手術を受けた。
夜中に救急車で運ばれた一件目の救急病院では風邪だと言われた。
その病院は、お腹が痛くてケイレンして動けない私を追い出した、
とてもじゃないけど、激痛で全く身動きのとれない私は家に帰ることなんて出来なくて、近所の病院が始まるまで、4時間ほど友人の車の中で待った。
やっと朝になり、病院が開いたけど、今度は車から降りれない。少しでも動こうとすると激痛が走って叫ばずにはいられない。
友人とドクターと看護婦2人の4人がかりで
支えてもらって診察室に入り、注射2本、これ以上の処置はここでは出来ない、との事、
紹介状を書いてもらい、次の病院に入院するようにと言われ、移動。
3件目の病院へ着いてすぐ、入院手続きをして、パジャマを着せられ、レントゲンとCTを受ける。
撮影が終わったとたんにドクターが出てきて、
まだCTの機会に寝転がっている私に
「いますぐ手術をうけないといけないから、次の病院へ移動します。」と言う。
とにかく大急ぎで移動しないといけないとの事で、説明は救急車の中でします、と言う。
救急車の中でやっとドクターの説明があり、胃に穴が開いたらしく、腹膜炎を起こしている、腹水も溜まっているので、今すぐ開腹して
処置が必要だ、との事。
何がなんだかわからない。
家族も仕事に出ていて連絡が取れない、
ドクターがしつこく電話をかけて、何とか母が手術の直前に到着した。

そこから先はひどかった。
ただの胃穿孔だと聞かされていた私は、
年内に退院出来ると思って、術後の痛みにも何とか耐えて入院生活を楽しんでいた。
1週間後の12月26日、ドクターに呼ばれる。退院が決まったのだろうか。
それにしても、わざわざそんなことでドクターが患者を呼び出すわけがない。
母も一緒に、詰め所に入った。
ドクターが話し出す。
聞いているうちに、言わんとしていることは伝わってきた。
でも、まさか・・・そんなバカなことがあるわけない。半信半疑でドクターと母の顔をかわるがわる見る。母は無表情で、まっすぐ前を見ていて、私の顔を見ようとしない。
ドクターは下ばかり見て目を合わせてくれない。ひとりで一瞬のうちにいろんな事を巡らせていたので、ドクターが何を話していたか、あんまり覚えていない。でも、この言葉だけが飛び込んできた。
「もうなんとなくわかったかな?まさかね〜私たちもみんなびっくりしたんです。だってまだ21歳だし、まさかね、ガンだなんて・・。お気持ちはわかります、泣いていいです。でもちゃんと私が責任持って切りますから・・・」

そこから先がまたひどかった。
4日後にまた手術します、と言う。
やっと術後の痛みから解放されて、今日から食事も始まったのに?
また手術?

そして12月30日、手術を受ける。
手術内容は胃を全摘出、および、胆嚢、脾臓も摘出。
術後、ドクターから胃は5分の1ほど残り、
脾臓も残りました、とのこと。
家で迎えるはずだった大晦日は、術後の痛みのピークで最悪の大晦日になり、元旦は、病棟のほとんどの人が家に帰っているため、シーンとした病室で迎えた。

去年はクリスマスもお正月も絶食だったため、
おいしい物はなに一つ食べれなかった、
それどころか、退院後は、胃が無くなった影響で、食事も全く出来ず、大変だった。

12月18日、まさかあの時の入院が、胃が無くなって退院することになるなんて、その日の私は知るはずも無かった。

この時期になると、あのめまぐるしかった年末を思い出さずには居られない。

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