interrupted

2003年12月19日 病気と人生
今年の札幌は雪が降るのが遅かった。
12月に入っても地面が見えていた。
これからチラチラ降り出したとしても、
積もるまでには結構時間がかかるし、
今年は1ヶ月分くらい得したな〜なんて思っていたら、10日前後に突然ガバっと降ってきて、あっという間に例年と変わらない雪景色になった。
結局、対した得はしてなかったみたいだ。
去年もこうだった、こんな風に寒かった。
嫌でもよみがえってくる。

ちょうど一年前の昨日、12月18日に、私は生まれて初めて手術を受けて、生まれて初めて入院した。

病院を4件回って、やっと手術を受けた。
夜中に救急車で運ばれた一件目の救急病院では風邪だと言われた。
その病院は、お腹が痛くてケイレンして動けない私を追い出した、
とてもじゃないけど、激痛で全く身動きのとれない私は家に帰ることなんて出来なくて、近所の病院が始まるまで、4時間ほど友人の車の中で待った。
やっと朝になり、病院が開いたけど、今度は車から降りれない。少しでも動こうとすると激痛が走って叫ばずにはいられない。
友人とドクターと看護婦2人の4人がかりで
支えてもらって診察室に入り、注射2本、これ以上の処置はここでは出来ない、との事、
紹介状を書いてもらい、次の病院に入院するようにと言われ、移動。
3件目の病院へ着いてすぐ、入院手続きをして、パジャマを着せられ、レントゲンとCTを受ける。
撮影が終わったとたんにドクターが出てきて、
まだCTの機会に寝転がっている私に
「いますぐ手術をうけないといけないから、次の病院へ移動します。」と言う。
とにかく大急ぎで移動しないといけないとの事で、説明は救急車の中でします、と言う。
救急車の中でやっとドクターの説明があり、胃に穴が開いたらしく、腹膜炎を起こしている、腹水も溜まっているので、今すぐ開腹して
処置が必要だ、との事。
何がなんだかわからない。
家族も仕事に出ていて連絡が取れない、
ドクターがしつこく電話をかけて、何とか母が手術の直前に到着した。

そこから先はひどかった。
ただの胃穿孔だと聞かされていた私は、
年内に退院出来ると思って、術後の痛みにも何とか耐えて入院生活を楽しんでいた。
1週間後の12月26日、ドクターに呼ばれる。退院が決まったのだろうか。
それにしても、わざわざそんなことでドクターが患者を呼び出すわけがない。
母も一緒に、詰め所に入った。
ドクターが話し出す。
聞いているうちに、言わんとしていることは伝わってきた。
でも、まさか・・・そんなバカなことがあるわけない。半信半疑でドクターと母の顔をかわるがわる見る。母は無表情で、まっすぐ前を見ていて、私の顔を見ようとしない。
ドクターは下ばかり見て目を合わせてくれない。ひとりで一瞬のうちにいろんな事を巡らせていたので、ドクターが何を話していたか、あんまり覚えていない。でも、この言葉だけが飛び込んできた。
「もうなんとなくわかったかな?まさかね〜私たちもみんなびっくりしたんです。だってまだ21歳だし、まさかね、ガンだなんて・・。お気持ちはわかります、泣いていいです。でもちゃんと私が責任持って切りますから・・・」

そこから先がまたひどかった。
4日後にまた手術します、と言う。
やっと術後の痛みから解放されて、今日から食事も始まったのに?
また手術?

そして12月30日、手術を受ける。
手術内容は胃を全摘出、および、胆嚢、脾臓も摘出。
術後、ドクターから胃は5分の1ほど残り、
脾臓も残りました、とのこと。
家で迎えるはずだった大晦日は、術後の痛みのピークで最悪の大晦日になり、元旦は、病棟のほとんどの人が家に帰っているため、シーンとした病室で迎えた。

去年はクリスマスもお正月も絶食だったため、
おいしい物はなに一つ食べれなかった、
それどころか、退院後は、胃が無くなった影響で、食事も全く出来ず、大変だった。

12月18日、まさかあの時の入院が、胃が無くなって退院することになるなんて、その日の私は知るはずも無かった。

この時期になると、あのめまぐるしかった年末を思い出さずには居られない。

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