あべこべな世界
2004年3月11日人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し
焦るべからず・・
迷い立ち止まる日々もまた、これからの人生の糧となるのだろうか。
何だか私はずっと立ち止まったままのような気がする。
何も感じたくないと思うときは、死に憧れてしまう、死に向かって歩いているのが人生なら、なぜ立ち止まるのだろう。
意義というものは簡単には見いだせない、
どんなことでもだ。
生きることの意義も、死ぬことの意義も、
働くことの意義、愛する事、
でもそのすべてを無機質なものと思って割り切ることが
出来ないから、みんな悩み、迷い続けるのだろうか。
バカな上司がとってつけたような屁理屈を並べ立てて
筋道の通らない事を、堂々と説いている。
ふざけろよと心の中で思うけれど、
結局は無駄な抵抗は労力の無駄遣いであり、
だからと言って、誠実に従う気もしない。
曖昧に相づちを打って、てきとうに対応する。
自分の評価が下がっていく。
これでいいのかとたまに考える。
何のために考えているのかはよくわからない。
会社のためか、自分のためか、
べつに何のためと言うわけではないような気もする。
正しいことを言う者が救われるわけではないのが
社会というもので、それはつまり、
その人間の権力の有無だけが、その言葉の正か誤かを決めるのだ。
こんなめちゃくちゃな話に、いちいちその意義を
唱えていても、それこそ無意味だ。
べつに正義が勝つべきだとか、そんな理想論を説いてるわけではないけど、あべこべで納得行かないことにぶち当たるたびに
途方に暮れるのも疲れるのだ。
情とか中途半端な正義感とか、誠実さとか、
そんなものを捨てきれないからダメなのだ。
でもそれがあるから人間らしくていいじゃないかと思う自分。
熱心な働き者はすばらしいという法律のようなものが会社には暗黙の了解で成立している。
おい、それじゃ〜働くために生きているのか?
誰がそんなこと本気で思っているんだよ?
だけど、確かに働かざる者食うべからずであり、
働く者は食ってもいいのだ。
と言うことはやっぱり食うために働くんだろ?
どう違うんだ?
全然違うだろ、
いや同じ事だ!
うるせ〜。
いずれにしても
日本人は働き過ぎだ!!
焦るべからず・・
迷い立ち止まる日々もまた、これからの人生の糧となるのだろうか。
何だか私はずっと立ち止まったままのような気がする。
何も感じたくないと思うときは、死に憧れてしまう、死に向かって歩いているのが人生なら、なぜ立ち止まるのだろう。
意義というものは簡単には見いだせない、
どんなことでもだ。
生きることの意義も、死ぬことの意義も、
働くことの意義、愛する事、
でもそのすべてを無機質なものと思って割り切ることが
出来ないから、みんな悩み、迷い続けるのだろうか。
バカな上司がとってつけたような屁理屈を並べ立てて
筋道の通らない事を、堂々と説いている。
ふざけろよと心の中で思うけれど、
結局は無駄な抵抗は労力の無駄遣いであり、
だからと言って、誠実に従う気もしない。
曖昧に相づちを打って、てきとうに対応する。
自分の評価が下がっていく。
これでいいのかとたまに考える。
何のために考えているのかはよくわからない。
会社のためか、自分のためか、
べつに何のためと言うわけではないような気もする。
正しいことを言う者が救われるわけではないのが
社会というもので、それはつまり、
その人間の権力の有無だけが、その言葉の正か誤かを決めるのだ。
こんなめちゃくちゃな話に、いちいちその意義を
唱えていても、それこそ無意味だ。
べつに正義が勝つべきだとか、そんな理想論を説いてるわけではないけど、あべこべで納得行かないことにぶち当たるたびに
途方に暮れるのも疲れるのだ。
情とか中途半端な正義感とか、誠実さとか、
そんなものを捨てきれないからダメなのだ。
でもそれがあるから人間らしくていいじゃないかと思う自分。
熱心な働き者はすばらしいという法律のようなものが会社には暗黙の了解で成立している。
おい、それじゃ〜働くために生きているのか?
誰がそんなこと本気で思っているんだよ?
だけど、確かに働かざる者食うべからずであり、
働く者は食ってもいいのだ。
と言うことはやっぱり食うために働くんだろ?
どう違うんだ?
全然違うだろ、
いや同じ事だ!
うるせ〜。
いずれにしても
日本人は働き過ぎだ!!
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